「CFプロジェクトメンバーよりメッセージ⑤」

  • Home
  • その他
  • 「CFプロジェクトメンバーよりメッセージ⑤」

「CFプロジェクトメンバーよりメッセージ⑤」

  • Home
  • その他
  • 「CFプロジェクトメンバーよりメッセージ⑤」

【CFプロジェクトメンバーよりメッセージ⑤】

ご支援いただいた皆様!
在日ミャンマー人の大槻です。この度は実施中のクラウドファンディングにご支援とご協力をいただき、誠にありがとうございます。皆様の暖かいご支援により、ネクストゴールを達成することができました。ご支援いただいた皆様、賛同者になってくださった皆様、拡散に協力してくださった皆様、メディア関係者の皆様、協力団体の皆様、お一人お一人に心より感謝申し上げます。いただいた支援金でミャンマーで苦しんでいる多くの人々が救われることに、一人の在日ミャンマー人として、またプロジェクトメンバーとして感謝の気持ちでいっぱいです。ミャンマーへの関心が低下する中諦めずに、目標達成まで共に頑張ってくれました仲間のプロジェクトメンバーにも感謝します。

本日は皆様に私の日本への留学の決意や、乗り越えなければならなかった困難など自分のエピソードを交えてご紹介しながら、私からの皆様への感謝のお言葉をお伝え出来ればと思います。

私は20年前に母国ミャンマー を離れ、日本の大学で学ぶことを決意しました。日本を選んだ理由は、「日本の凄まじい経済成長のカギはどこにあるのか、日本で経済や経営のことを学び、これから伸びる母国の発展のために力を発揮したい。日本とミャンマーは昔から交流が深かったこともあり、日本は信頼出来る国」そんな思いで留学先に日本を選びました。ミャンマーで高校生時代福岡市の招待で日本を訪れた父親からの日本に対するイメージがとても良く、大学で教員を務める母も日本への留学に絶賛してくれました。

ミャンマーで大学に通いながら日本語学校に通い、2003年4月に念願の日本への留学を果たすことができました。日本の大学では、経営学部経営学科を専攻し、「経営戦略と組織論」のゼミで、物事を多方面から見ることの面白さ、知的思考の重要性を学びました。日本の教育はミャンマーのような一方的に教え込む暗記教育ではなく、自由な発想で様々な観点から議論するなど思考力を高める授業が多いことに気づきました。教育のみならずアルバイト先での日本人の仕事に対する懸命さ、真面目さ、責任感の強さなどにもミャンマーとの違いを感じ、「なるほど、だから日本はここまで発展することが出来たのか。もっともっと日本の良さをたくさん学んで、ミャンマーの後輩たちに教えてあげよう」そんな前向きな気持ちで勉学もアルバイトも絶えず励みました。

また、民主主義の国家日本ではこんなにも自由に情報発信することができ、目標達成のために高い意思や行動力を持って取り組む姿勢にも驚かされました。「なるほど、だから日本はここまで経済成長を成し遂げることが出来たのか、凄まじい経済成長を成し遂げたこで失ったものと得ったものは何か」色々考えさせられた最も収獲が多かったのが大学生生活でした。

もちろん、日本での留学生活は全てが順風満帆で上手くいった訳ではありませんでした。物価が高い日本で、私立大学の学費を自分でなんとかするためアルバイトをこなし、慣れない就職活動にも苦労しました。大学でミャンマー国籍はたった一人、授業はすべて日本語で行われ、4年生の期末試験終了後第一希望企業への就職も決ったタイミングで帰国しましたが、帰国日数日前に大好きな父が脳梗塞で急に倒れ、他世界に立っていました。

4年ぶりの帰国で父との再会は叶わず、想像もしなかった父の死が人生最大のショックな出来事でした。「自分は日本に留学して、ホントに良かったのだろうか」何度も何度も自分に問いかけながら、なかなか現実を受け止めることが出来ませんでした。絶望感に溢れながら日本に戻り就職をしましたが、父に会えなかった後悔の念が抑え切れず何年も苦しみました。これ程苦い経験と辛い思いも、これが最初と最後になればと、自分なりに頑張って乗り切りました。

しかし、父との別れだけが人生最大のショックではありませんでした。2年前、母国ミャンマーで起きた軍事クーデターも同等のレベルでショックな出来事でした。クーデター以外の選択肢はホントになかったのか、100歩譲ったとしても、これだけ命が軽々と奪われていくことは受け入れられませんでした。ショックのあまり数ヶ月間食事が喉を通りませんでした。

民主化が進むミャンマーへの進出を目指す外国企業も増え、母国の明るい未来を確信していました。自分のように日本や海外で学び、将来は国に貢献したいと考える若者達が少なからずいました。ミャンマーが世界から注目されはじめ、若者たちが夢や希望にあふれているこのタイミングで、なぜ母国の未来が奪われなければならなかったのか。。。

日本に住む自分にもSNS経由で知人や家族から生々しい情報が日々届きました。どうすれば良いのか。自分だけが平和な日本にいることに申し訳なく思うことが何度もありました。「一人でも多くの命を助けたい」と思い、2022年3月に 日本人と在日ミャンマー人の仲間とともに母国の人々を助けるために、クラウドディングを立ち上げました。プロジェクト名「クーデターから1年。ミャンマーで困窮する人々に医療・食糧支援を」には、童謡歌手の由紀さおりさんや根本教授などからのサポートもあり、2ヶ月間で1,500万円の支援金を得られたことに深く感謝しています。そちらにご支援いただいた皆様、本当にありがとうございました。

しかし悲しいことにミャンマーの状況はさらに悪化し、2022年8月中旬には日本人とミャンマー人の仲間とともに新たにボ ランティア団体「ミャンマーの平和を創る会(チイチイキンキン)」を発足、人道支援や留学生支援に力を入れながら、現在実施中の2度目のクラウドファンディング「クーデターから2年。人々に食糧・医療・そして未来を」に挑戦しました。

ミャンマーの現状は悪化する一方ですが、公的な支援はほとんどないに等しく、近隣国からの協力も乏しいまま避難民の数は日々増え続けています。国連人道問題調整事務所(OCHA)は3/4付けで、2023年にはミャンマーの人口の3分の1が人道支援を必要とする、と発表しました。日本で落ち込んではいられませんでした。

日本で小学生二人の子育てと仕事をしながら母国への支援を続けることは、決して簡単なことではありませんが、やはり日本から出来ることをしたい。苦境の中、必死で頑張っている人々を助けたい。今回のクラウドファンディングで得た支援金を活かして一人でも多くの命をつなげたい。そんな思いでクラウドファンディングを立ち上げ運営に携わっています。ご支援いただいた皆様には言葉に言い表せないほど感謝しております。

皆様の応援を力に変えて、ミャンマーで苦しむ人々を助けることに全力を尽くしたいと考えています。昨年実施したクラウドファンディングの経験やノウハウ、ネットワークを活かし、最も支援が必要とされる地域を優先に支援をお届けして参ります。プロジェクト終了日まで残り1日となりました。皆さまのご支援のおかげで、目標は達成しましたが、命をつなぐ人道支援、未来をつなぐ教育支援に引き続き日本の皆様のお力を貸していただけますと幸いです。

既にご支援をいただいている皆様、まだご支援を検討中の皆様、お願いばかりで大変恐縮ですが、明日の最終日までに最後の一押しをお願いできればと思います。できる範囲でよろしくお願いいたします。

大槻 美咲
ミャンマーの平和を創る会(チイチイキンキン)

                   
PREVIOUS / NEXT